天才になる方法

前回は天才という概念について書きました。

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今回は「天才のなり方」についてです。

二種類の天才

天才とは主観から導き出される賛美にほかならないのだけれど、そう呼ばれる個体は大きく二種類に分けられます。

一つは既存のメジャーなゲームにおける乱戦を制した選ばれし天才。もう一つは中心から少しズレる事によって今までに無かったゲームを創造し、そこでこれまでにない活動をするクリエイティブな天才。

前者の天才観が分かりやすく当てはまるのはアスリートの世界ですね。これはもう努力なり根性でどうこうなるものではありません。
もちろん限定的な領域における生存競争は熾烈なのであまり揶揄するつもりはないのですが、こういったレアな人達(の発言や行動)によって「一般的な天才のイメージ(先天的才能説)」が形成されているのは間違いないでしょう。

前者の天才には狙ってなれません。しかし、後者の天才であれば(ゲームを選びさえしなければ)誰でもなれます。

どのゲームで勝ちたいのか? ではなく、自分が活躍できるゲームはどこか?

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「生まれ持った才能」と、「生まれ育った環境からのフィードバックによって形成される自分の能力」を「最も発揮できるゲーム」が「たまたま現実の世界に存在する(しかもそれがメジャーなゲームである)」ってだけでめちゃくちゃ運がいいし凄いことだなって、素朴に思ったりしませんか?

普通に考えて、自分の能力を最大限発揮可能なゲームが現実空間に存在している可能性ってものすごく低いはずなんですよ。つまり、普通の人間が天才になる(他に比べて秀でる)ためには、既存のゲームでは無理なんです。

今どんなに必死に努力していたとしても、そもそも自分が勝つことのできない(相対的にトップクラスになれない)既存のゲームで活動しているのだとすれば、(価値がないとは思いませんが)その努力が報われることはありません。

東進ハイスクールの林修先生もこう言ってます

努力は裏切らない っていう言葉は不正確だ。

正しい場所で、正しい方向で、十分な量なされた努力は裏切らない。

これって圧倒的に正しいと思うんですよ。 


「自分の勝ちたいゲーム」で勝てる運の良い人というのはほんの一握りであり、多くの人は勝つことができません。しかし、だからといって悲観する必要はないんです。
たしかに「自分の勝ちたいゲーム」と「自分が勝てるゲーム」が違うという事実は受け入れなければなりませんが、だったら自分の勝てるゲームを作ってしまえばいいわけです。

つまり、既存のゲームで天才になることのできない人は、まだ競争相手のいない(とはいえそれなりにニーズがあるはずの)自分の勝てそうなゲームとその魅力をでっち上げ、その新たに作ったゲーム(限定的領域)の中で相対的に一番になればいい、ということです。後はその新しく作ったゲームのブランドイメージを上げることができれば、既存のゲームとして社会に登録されるかもしれません。

最後に

短距離走に勝てないらなら長距離走へ、長距離走で勝てないなら走る技術を伝えるコーチへ、コーチで結果が出せないのであればランニングシューズの開発に参加したり、効果的なダイエット法なんかをプロデュースしてもいいし、それでもダメならもう半歩ずらしてみればいいんです。

ズラせばズラすほど、もともとこだわっていたゲームの原理性が薄れ(100mで一番にならなければいけない→陸上競技の素晴らしさを広めたい→陸上に限らずスポーツというものに関わりたい→体を動かすって楽しい)、自分の中にある別の知識や趣味と上手いこと合体することで「今までにあるようでなかった変なモノ」が生まれるはずなんですよ。

そして、その「変なモノ」がたまたま多くの人々のニーズを満たすものであり、かつ周りに競合相手がいなければ、あなたはその領域において「天才だ!」と賞賛されることでしょう。