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天才とはなにか

天才とはなにか? って、考えた事ありますか?

天才ってよく使うわりにいまだ明確には定義されていないんですよね。理由は単純に「何をもって天才とするか」という判断基準が人によって異なるからなんでしょうが、その辺りについて少し考えてみたいと思います。



ネット上にある天才の定義のようなモノをざっと書き出すと

  • 天才とは書いて字のごとく、天から授かったとしか思えないような神懸かった才能を生まれつき持っていて人のこと。

  • 大した努力もしていないのに、他の誰もできないような圧倒的な実績を出してしまうような人。

  • 特別な才能の有無ではなく、とにかく一つのことを愚直に継続する事のできる人、それが真の天才だ。

  • 個人の能力がどうというよりは、社会に実績を認められてこそ初めて天才だといえる。

  • 天才は特定の分野にだけ飛び抜けた才能を示すけれど、誰にでもできる当たり前のことが上手く出来ないなど、社会不適合者が多い。

  • 単純にIQが140以上が天才。

  • 子供のイマジネーションは凄い。だから子供はみんな天才だ。


などなど、天才のイメージってだいたいこんな感じなんじゃないでしょうか。

ただここで問題になってくるのが

優れた知能や才能を生まれ持った人を天才だとすれば、地道に努力を続けることによって晩年大成功した人は天才とは呼べません。 特別な実績を上げた人の事を天才だとすれば、どんなに才能があっても特別な実績を残していなければ天才ではありません。 IQが140以上の人間を天才としてしまうと、どんなに世界がひっくり返るよなイノベーションを起こしたとしても、IQが140以下であれば天才とは言えません。

このようにどれかしらの天才の定義(イメージ?)を採用してしまうと、他の定義が成り立たなくなってしまうんですよ。そんな理由もあって天才を定義するのは難しいんです。

天才という概念を理解する上で、能力や実績に焦点をあてると間違う

天才っていうとなんだか凄そうだけれど、天才ってあんがい日常的に使ってる言葉だったりもします。

学校で一番足の早い奴に対して「天才だ!」って言ったりもするし、学校で一番勉強のできる子に対して「天才だ!」って言ったりもします。信じられないようなスピードで出世する同期を「天才だ!」と言ったりすることもあるし、周りからは評価されていなくても自分にとってグッサリ刺さるような曲を書くミュージシャンを「天才だ!」って言ったりすることもあるでしょう。大人顔負けの演技をする子供を「天才子役だ!」なんて言うことだってあるし、人間の言うことを忠実に守る犬のことを「天才犬だ!」なんていうことさえあります。

何がいいたいかというと、実は天才とは対象の「能力」や「実績」を言い表すための表現なのではなく、何かしらの対象に感動した個人の感情(嫌味を含む)を主観的に表現するときに使われる表現、すなわち賛美の表現なのだということです。

多くの場合、天才と呼ばれている人達の特徴や能力、積み上げた実績などを整理し、そこから天才という概念を記述しようとしてしまいます。が、これって一見簡単そうだけれど実はできません。天才が賛美の表現である以上、それぞれが思うままに個人的な感情に基いて天才という概念を記述せざるをえないわけですから、上に書き出した例のように必然的にバラバラな表現になってしまう、というわけです。

天才とはなにか?

f:id:inplugoutjp:20150830014140j:plain© 高栁浩太郎

それらを踏まえて上で、ここでは個人的な天才観ではなく、公的な天才の定義(のようなモノ)を記述しておきましょう。

天才とはある限定的な領域内で行われるゲームの相対的な勝者であり、かつその領域の構成員及び観客から最も多くの支持を集めた個体のことである」、これがここでの天才の定義です。

小学校のときに1番モテていた人も、中学高校と上がっていくに連れて案外そうでもなくなったりしますよね。これは言うまでもなく限定的な領域が拡張したことで場の構成員が増え、その広がった領域内で再度相対化されたからに他なりません。

「自分の能力や身体的特徴というのは、他人という自分ではない存在と比べることで初めてわかるんだ」みたいな話、誰でも一度はきいたことがあると思います。同じようにように、対象(例えばイチロー)を天才だ!と判断するためには、その対象と同じ領域で同じゲームをしている他の個体(その他の野球選手)と比べ、そのゲームの基準によって優劣をつける必要があると。そして、その領域の中で最も多くの支持を集めた個体のことを、天才というのです。

あまり面白く無い結論かもしれませんが、天才を公的に記述しようとした場合、これ以上解像度を上げることはできないんじゃないでしょうか。

最後に

繰り返しになりますが、天才とは個体の能力や実績を言い表す表現なのではなく、あくまで個人の主観から導き出される「賛美」の表現なのです。賛美である以上人によって価値基準はバラバラなので、その基準を統一することはできません。

ここではその基準を統一することを目指すのではなく、結果的に天才だと言われる個体はどのように選出されるのか、という構造を抜き出してみました。次回はこの構造に基いて、「天才になる方法」について考えてみたいと思います。

参考(元ネタ):「天才とは」 「天才解釈の分類」/(新しい心理学)より