空気!!!

「空気読めよ」とか、「あの人は空気が読めないからね〜」みたいなことを言う人がいます。反対に「空気なんて読まなくていいんだよ。むしろ私くらいになると、あえて空気とか読まないからね」だなんて言う人もいたりする。

今回はそんな「空気を読む(読まない)」といった表現への素朴な疑問を書いてみます。

普通に考えれば、「空気を読む」ってのは「場の設定と基準を読む」ということだよね?

多くの場合、「空気を読む」ってなぜかネガティブな意味で使われることが多い気がするんですよ。

理由は単純に「空気を読む」という概念の中に、「場の流れに従い、媚びへつらう」というニュアンスが含まれているからなんでしょうが、そもそもそこからして普通に疑問を感じます。

本を読むことと本の内容を鵜呑みにする事がイコールではないように、「場の空気を読むこと」と「場の空気に従うこと」はイコールではない・・・はずですよね?

そもそも他人と関わる以上、空気を読むか読まないかなんて選べないよね?

例えば出先で食事をする場合、自分一人であれば自分の条件(所持金や好みなど)に合わせて好きな様にすればいいけれど、数人で食事する時にはその「場」の人間関係(親・友人・恋人・先輩後輩)によって選択するべき適切な基準(例えば「一番ではないけれどお互いが好きなものにしよう」や「奢ってもらえるなら何でもいいかな」など)って変わるじゃないですか。

このように他人と円滑に関わっていくためにはその「場」の設定や基準を読む、すなわち場の文脈を読む必要があり、その場の関係性の中で選ぶべき「最適な基準」を選択することによってはじめて、「その場における有効な振る舞い方」ができる(正確には打率が上がる)んです。

ちなみに重要なのはその場における有効な振る舞い方ができるかどうかですから、空気を読んだ結果「その場の流れに従う事」がその「場」にとって有効だと思うのであれば従えばいいし、逆に「場の支配的な流れとは毛色の違う一手を打つこと」がその「場」にとって有効だと思うのであれば、その場の流れに従わなければいい。

よく言われるところの「空気を読む」が前者で、「あえて空気を読まない」が後者なのだと思うのですが、普通に考えたら結局どちらも空気を読んで・・・いますよね?

場が変わっているにもかかわらず、「同じ基準」を使い回していませんか?

上に書いたように、他人と関わっていくためには空気って読まざるをえないモノなんだとは思うんです。でも「空気が読めない」と言われてしまう人達が一定数いるというのも事実ですよね。

これってようは「場の文脈を上手く読み取れず、結果うまく振る舞うことができなかった」ということなんだと思うのですが、そういった経験の多い方というは、(設定やルールが変わっているにもかかわらず)常に同じ基準によって立ち振る舞おうとする傾向が強いんじゃないかなって、勝手ながら思ってます。

というのもそういった方ってよく「人見知りなんで」とか「コミュ症(自称)なんで」といった具合いに自ら自虐的に言ったりするけれど、彼らの多くはある特定の関係性においてはむしろ積極的にコミュニケーションをとっている場合が多いんですよ。

つまり自分がいつも選択している基準との整合性の高い相手とは積極的にコミュニケーションするけれど、その基準を共有できない相手には(上手く振る舞えなかった、という経験があるからこそ)消極的になってしまう。

でもこれって結局のところ、自分の土俵以外で勝負した経験の数(恥をかいた数)が少ないだけなんじゃないかなって、どうしても思っちゃうんですよ*1

例えばいま私が(嫌だけど)ラップのフリースタイルバトルに出場した場合、きっと一小節めでいきなり詰まると思うんです。なんとか乗り切ったとしても、相手とのいい感じのやり取りなんてできるわけもなく、「自分の言えること」を無理矢理ぶつける感じにきっとなる(趣旨とは違うけれど、トリプルファイヤー吉田 VS 呂布カルマ、最高です)。

理由は単純に、私がフリースタイルバトルというゲームのルールに疎いことと合わせて、対戦相手やオーディエンスとの共通理解(場の文脈)を共有していないからなわけですが、いっても場数を踏んだら強くなれるかどうかは置いといたとしても、(ルールや文脈を理解し、寄り添うことによって)取り合えずカタチにはなると思うんです(言うまでもなく、嫌だけど)。

場にはその場独自ルールがあるし、しかもそのルールは設定や状況、および相手によっていくらでも変化するため、きわめて流動的です*2。なので自分がいつも選択している基準と整合性の高い相手とばかりつるみ、その中での価値基準を絶対化し過ぎると、おのずと上手く接続できない相手や場って増えちゃう(正確には「拡がっていかない」)んですよね。よって必然的にあらゆる場において「空気の読めない奴だ」いうレッテルが貼られてしまうことになる。

これは進化の歴史なんかをみてもわかるけれど、環境の変化する複雑な場においては、残念ながら「変われない奴」っていずれは淘汰されちゃうんです。

みなさんはどうですか?
自分や仲間内でしか通用しない価値基準を、無自覚にいたるところに持ちもうとしているなんてこと・・ありませんか?

とはいえ空気が「読めた・読めなかった」を決めるのは、自分ではなく「場のルール」だよね?

ここまで色々と書いてはきたものの、いくら注意深く空気を読んでみたところで自分の選択した一手をその場において機能させることができなければ、結果空気を読めなかったのと同じことになっちゃうんですよね。

個人的な話なので恐縮ですが、以前規定の時間に出社しなかった後輩のせいで、余計な残業をしたことがありました。 当然遅れてきた後輩は到着するなりメチャクチャ申し訳無さそうに私に謝罪してきたのだけれど、個人的にはそういった状況って結構苦手なんですよ。

というのも私は比較的「貸し借りの概念」を重視するのだけれど、誰かに対して「借り(個人的には貸しも面倒)」のある状態って気持ち悪いじゃないですか。謝罪しても借りを返したということにはならないし、かといって借りを返すまで「申し訳なさそうにしなければならない」のって(私にとっても後輩にとっても)ムダなコストだと思うんです。彼が(見た感じでは)あまりにも申し訳なさそうだったのと合わせて、個人的にもその貸しの状態が気持ち悪かったので、私はその場で「今度コーヒーでも買ってきてよ。その条件を飲んでくれるなら、もうこの件はこの場でチャラにしよう」と彼に伝えました。つまり後輩が私に作ってしまった「借り」の返し方を、明確に提示したわけです。

これで私自身も「被害者面」をしないで済むし、後輩も明確な禊を受け入れることでお互い気持ちが楽になれるかな〜なんて思っていたのだけれど、その時その場に居合わせた同僚に「それはちょっと仁義(意味は不明)がないすっよ」みたいなことを言われてしまったんですよね。話を聞いてみると、「あなたの行為は人の弱みに漬け込んで利を得ようとする行為にほかならない」みたいな内容だったと思うのですが(ちなみに遅れてきた後輩も同僚の意見に対して「確かに・・」みたいな顔をしてました。さらに付け加えると、彼が無断で遅刻してきたのはその時が初めて、ではありません)、「はあ?」っと思うと同時に、「あ〜・・ま〜・・なるほどな・・」とも思ったんです。

つまり私は「その場の(構成員によって形成される)ルール」を読み違えていたのだと。場のルールよりも私的な価値基準(なのだろうか?)を適応させてしまったことにより、その場において「空気の読めないパワハラ野郎」に成り下がっていたのだと。

もちろんヨコヤリを入れてきた同僚も含めてきちんとプレゼンテーションしていればそうはならなかったとは今でも思ってはいるけれど、少なくとも私の一手がその場においては機能しなかったのは紛れも無い事実なんでしょう。

このようにいくら空気を読んでいようがいなかろうが、不測の事態がいつどのように介入してくるか分からない以上、ダメなときは・・ダメなんです。

最後に

今回は「空気」についてあれこれ考えながら書いてみました。

まとめると

  • 「空気を読む」ってのは「場の設定と基準(文脈)を読む」ということ。
  • 他人と関わらなければならない以上、「空気は読まざるをえないモノ」なのだということ。
  • 場が変わっているにもかかわらず「同じ基準」を使い回していると、空気を読めないやつだというレッテルが貼られてしまう(確率が高くなってしまう)のだということ。
  • とはいえ、空気を読み、機能するであろう一手を打ったとしても、ダメなときはダメなのだということ。

こんな感じでしょうか。

ちなみに「あえて空気読まない」のトリックについてもう少し思うところがあるのだけれど、それはまた今度。

*1:一応補足しておくけれど、人って他人がとやかく言わなくても子供の頃って(人の生存戦略上、必然的に)ナワバリから飛び出そうとするんですよ。ただ、その初期段階において失敗体験をしてしまった個体が、それ以降「ナワバリから飛び出すこと」に強い恐怖心(トラウマ)を感じるようになるっていうのはわからないでもないんです。ただ、それってあまりにも生物的な機能(恐怖心及び防衛本能)に自らの行動を制限されているかのような気がしませんか?

*2:例えば友人と話している「場」において、急にどちらか片方の知人が入ってきたりすることってあるじゃないですか。そういった状況では分りやすく場の設定が変わるので、新たなルールが共有されるまでに一瞬「変な間」が発生したりしますよね。 これって文字通り「設定」が変わった事によってそれまでのルール(私とあなた)がリセットされ、再度新しいルール(私とあなたと知人)が設定されるまでに僅かなタイムラグがあるからなんだと思うんです。 それまでのルールを使い続けたり(後から来た知人をスルーして今までしていた話を続ける)、完全に対話の相手を切り替えることも可能ですが、これでは適切な基準を読み取っているとはいえないので、場(私とあなたと知人)がギクシャクするんですよね。 いい感じの友人関係であれば退出オプションがあるので逃げ道がありますが、退出が使えない、又は使いにくい場(職場や学校)もあるので注意が必要です。