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オリジナルとはなにか

オリジナルってなんなんだろって、考えたことありますか?

いわゆるデザイナーや経営コンサルタントの人たちが書いた本なんかには、よくこんなことが書かれています。

  • 今は全てやり尽くされていて、オリジナルなモノを創るのは難しい。
  • 本質的にオリジナルなモノなんてないと感じている。学ぶが真似るから派生した言葉であるように、人の本質は真似ること。だからオジリナルなんて幻想だ。
  • この世に真っ白な独自性なんか存在しない。つまり、創造とは今あるモノとモノを組み合わせること。そしてそれがやがてオリジナルとよばれるようになる。

私もつい最近まで何の疑問を感じることなくその通りだと思っていましたし、今でも基本的には正しいと考えています。ただなんだかふわっとしているのも事実なので、ここではもう少しだけこの「オリジナル(及びオリジナリティー)」という概念の解像度を上げみたいと思います。

オリジナル(モノ)とオリジナリティー(方法)の違い

まずそもそもオリジナルとオリジナリティーの違いさえ、なんだか分かるようで分かりませんよね。まずはその整理しからしておきましょう。

結論から先に書くと、オリジナルとは「起源(すなわち「モノ」)」であり、オリジナリティーとはその起源から派生(対応)していく上で用いられた「方法」のことを意味します。

よくよく考えてみれば、そもそも私達の世界には「始めからあったモノ(大気・水・鉱物・動植物・火・電気・ガスなど)」と「それらを利用する上で便利な方法や道具」、そして「それらのコピー(派生品・亜流)」しかありません。

それもそのはずで、人の歴史上まったくのゼロから「モノ」を作り出したという事例は、ただの一つもないんです。

水があったから飲むことができたし、動植物が始めから生息していたからこそ捕食することができた。火があったからこそ燃やすことができたし、鉱物があったからこそ道具を作ることができた。自然の動力(動物・水力・風力)がまずそこにあったからこそ生活に取り込むことができたし、後にその動力を人工的に生み出す技術も発展した。

何がいいたいかというと、私達の営みというのは全て「地球という始めからあったモノ」に対する「リアクション」なのだということです。

つまり突き詰めて考えると、私達にとってのオリジナルとは「地球(環境)」であり、オリジナリティーとはその地球というオリジナルの上でより確実に生存してくためのリアクション(方法)に宿るのだということ。

若干極論っぽいですが、これって普通に正しいと思うんです。そのあたりもう少し踏み込んで書いてみます。

歴史の構築というのは、人類史上最大のイノベーションである

私達の祖先はこの地球という未知の世界(オリジナル)でより確実に生存していくために、独自の戦略を編み出しています。

(ここでは何度か書いていますが)その戦略というのは身の回りの情報を収集し、集めた情報を仲間と共有し、社会に記録するというもの。そしてその戦略によって得た成果を次世代に引き継ぐことによって(いうまでもなく一個体がゼロから地球環境という圧倒的未知をコンプリートすることは不可能なので)、私達は公的なデータベース(すなわち歴史)の構築という非常に画期的なイノベーションを成し遂げているんです。

というのも、より永く、より確実に生存し続けていくためには、「今」に対応するだけでは不十分なんですよね。これは進化の歴史なんかを見れば自明なので深くは触れませんが、生存をより確実にするためには「これから起こるかもしれない不測の事態」までをも想定し、準備したほうが有利なのは間違いありません。そして「これから起こるかもしれない不測の事態」を想定する上で最も有効な手段というのは、「これまで何か起こってきたか」を知ることです。

つまりこの公的なデータベースの構築に成功したことで、「誰でもいいからとにかく今を生き延びろ」という種の要請に対して、私たち人は「これまでの出来事」を収集し、共有し、記録し、引き継ぐことにより、より高い精度で応えることができるようになったのだということ(多くの生物はこの要請に対して数で応えるしかない)。

もう少し踏み込むと、「この地球環境という圧倒的な未知を、既知に塗り替えることでコントロール可能な状態(不測の事態を起こさせない)にする」というのが、私たちにとっての最大の目的(生存し続ける)を達成する為に目指すべき究極の目標(野望)になったとも言えるわけで、私たち人の中でそういったある種の「大きなゲーム(ニューゲーム)」が始まったともいえるでしょう。

そして現代人である私達は、「過去の成果が記録されたセーブデータ(これまで何か起こってきたか)」を手早くロードすることにより、途中から(世代交代のたびにゼロに近い値に戻ることなく)この大きなゲーム(未知を既知に塗り替える)を始めることができる。

つまり歴史の構築というイノベーションによって、人は他の生物よりも圧倒的に高い精度で、この地球環境(オリジナル)に対応することができるようになったのだということです。

現代人である私たちが、オリジナルに向き合うということ

ここまで書いてきたように、我々人類にとってのオリジナルとはこの地球のことであり、それは現代人である私達にとっても変わりません。そして私たち現代の個体が背負う使命とは、先人達がオリジナルに向き合うことによって構築され、引き継がれてきた公的なデータベースの内容を、少しでも豊かにすることです。

とはいっても私達は「過去の成果が記録されたセーブデータをロードすることで効率よく大きなゲームをプレイする事のできるプレイヤー」である一方で、すでに「ある程やり込まれてしまっているゲームに後から参加せざるを得ない後発のプレイヤー」だとも言えるんですよね。

例えば(なんでもいいのだけれど)「水を火で加熱すると沸騰する」といった現象を、世紀の大発見として誰かに共有することに現在的な価値がないのは、単純にその現象がすでに先人達によって発見され、私達の社会(公的データベースの下位階層にある情報共有ネットワーク)に「これまでのモノ」として登録されているからです。

なので私たちの目にパッと入るようなオリジナルの断片は、その殆どが先人達によってとっくの昔に登録されている「常識化した既知」なんですよね。それもそのはずで、広大とはいえ地球(オリジナル)は言うまでもなく有限なので、私たちの活動によって地球上の未知は年々減少傾向にあるからです。

まあそういうことなので、私たち現代の個体(後続世代)に求められているのは、純粋な未知の発見などではありません。私たちのような現代の個体ができることというのは、「これまでのモノ」の中からまだまだ拡張できそうなモノを見つけ出し、その余白に自分なりの成果を積み上げること「だけ」なのだということです。

私たちは夢を「見つけなければならない」

よって現代人である私たちが「まずするべきこと」というのは、全国の校長先生なんかがいうように「夢」を見つけることなんですよ。夢を見つけるっていうのは、いってみれば先人達がこの「大きなゲーム」を攻略していく過程でいくつにも枝分かれしてきた無数の「ミニゲーム(大きなゲームを攻略する為に細かく分業された各ジャンル)」の中から、関心の持てそうなモノ(文脈を背負ってでもコミットし続けていきたいモノ)を見つける、ということです。*1

そして選択した任意のミニゲーム(各種学問・料理・音楽・スポーツ選手・起業家・その他色々なあれこれ)における最新のセーブデータをローディング(これまでの成り立ちを読み込む)することによって、ひとまずそのミニゲームを(「続き」から)始めてみる(コンテニュー)。そしてそのミニゲームのこれまでの流れを踏まえた上で、その延長線上に自分なりのネタ(オリジナリティー)を差し込み、積み上げた成果を任意の社会(基本的には選択したミニゲームのフォロワー)にキュレーションする(セーブを試みる)。そこで承認を得ることができて初めて、そのミニゲーム(しいては大きなゲーム)が豊かになるのだということです。*2

すなわち我々人類にとってのオリジナルは今も変わらず「地球」なのだけれど、「私たち現代人にとってのオリジナル」とは、先人達が構築してきた公的なデータベースに登録されたばかりの、最新のセーブデータ(暫定解)のことだといえるでしょう。その最新のデータに向き合うことによって、私達は間接的にオリジナルに向き合っているのです(もちろん地球が有限だという物理的な問題がある以上、ミニゲームとはいえいつまでも余白があるわけではない)。

まあこう書いてしまうとややこしいですが、気になる人を見つけ、相手と結ばれることで家族となり、誕生した子供を育て上げることによって社会に送り出すというのも、言ってしまえば「同じこと」です。

最後に

一応冒頭の話に戻しておくと、「オリジナルなんてない」という言い方は不正確で、オリジナルはいつだって目の前にあるのだということ。ただ、生存戦略的にオリジナルを検証していく中で、自らが選択したしたミニゲーム(ジャンル)のセーブデータに拡張性(オリジナリティーを発揮する余白)が殆ど無いことを知った時、人は「オリジナルなんてない」というわけです。

ちなみに、この問題を解決するのは案外(言葉にするだけなら)簡単なんですよね。もし今自分が参加しているミニゲームが飽和しているようならば、別のゲームと組み合わせることによって新しいミニゲームをでっち上げればいいんです。つまり過去の分業によって別々に切り離されていたミニゲーム同士(又はその要素)を接続し、それぞれのセーブデータを引き受けた上で新しいゲームにしてしまえばいいのだということ(これを世間ではイノベーションという)。

詳しくは『天才になる方法』という記事に書いたので、時間があるときにでも読んでいただけたら嬉しいです。

*1:ちなみにだけれど、これは人の生存戦略に基づいた本質的な営みなので、「夢が見つからない状態」というのは思っているより精神衛生上よろしくないことなんですよね。ミニゲームでさえも飽和しつつある現代においては、夢を見つけること自体が少しづつ無理ゲー化しているので、「欲ない、夢ない、やる気ない」といわれる若者が増えているというのも、当然の帰結なのかもしれません。

*2:ちなみに、それをセーブデータとして記録するかどうかの判断は、プレイヤーではなく共有先の社会(の構成員)に委ねられています。 例えば、水泳という概念(リアクション)は水というオリジナルがあったからこそ生まれたモノであり、そこで発揮されているオリジナリティーとは「水の中を進む」という行為(方法と結果)です。そして現代における「水泳というミニゲーム」のプレイヤーはスイマーであり、「彼らにとってのオリジナル」とは現時点における世界記録という暫定解ですよね。そして彼ら現代のスイマーにとってのオリジナリティーとは、そのオリジナルである世界記録をコンマ1秒以上更新する身体能力と泳法(方法)となるでしょう。そしてスイマー本人が仮に世界新記録を叩きだしたと主張したとしても、その記録が正式なものかどうかを決めるのスイマー本人ではなく、その世界記録を管理する運営なのだということ。そして勿論、この構造は水泳に限らず、その他すべてのミニゲームに共通しています。