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オリエンタルラジオ中田敦彦に学ぶ、正しい謝罪会見の開き方

オリエンタルラジオの中田敦彦さんが、自身のYouTube公式チャンネルに上げられている動画の中で「正しい謝罪会見」に対する独自の分析をしていて、それがとても面白かったので記事にしてみたいと思います。

<動画はこちら>


この動画自体(①〜⑥まである)は基本的に彼らの新ネタである「PERFECT HUMAN」についての自己分析が中心なのですが、終盤になって最近の芸能界や政治の世界で続けざまに起こったスキャンダルの話題となり、その流れで「そもそも正しい謝罪会見とはなにか?」についての考えを語っています。

色々な人があの謝罪会見はありえないとか、ダメだとか言っているじゃないですか。でも謝罪会見って何のためにして、どうすれば正しいのかっていうことって、実は誰も習ってこないんですよね。

・・・みんな自分のことだとは思っていないですよ謝罪会見の事を。だからみんな本気で考えない。だから謝罪会見に関する考察が進まないんですね。・・・僕はもしかしたら立場上(謝罪会見を開く可能性が)あるかもしれないなとどこかで思っているので、考えたんですよ。


ちなみに、これはあくまで「テレビタレント」が行うべき正しい謝罪会見の方法なので、その点はご留意ください。 あと中田さんの発言の部分に関しては、なるべく意図を損なわないように配慮したうえで編集しています。

「謝罪会見をしなければならない人」とは、どういう人なのか?

例えば普通の人であれば、仕事で遅刻したり不倫をしていたことが発覚したとしても、謝罪会見を開く必要なんてありませんよね。ではいったいどういった立場の人が、謝罪会見を行わなければならないのか?

そもそも謝罪会見は誰に対してしているのかというと、パブリックに対していしている。つまり、パブリックに対して責任をもっている人というのは、いわゆる公人と呼ばれる人達なんですよ。公人というのは、国家公務員とか、政治家といった公に務める権力を持った人たちのこと。では芸能人や有名な社長はどうなるのかなと調べたら、準公人というフレーズが当てはまるんだと思うんです。準公人の定義というのは、社会的影響力を持っている人達の事。つまり、公に対して権力を持っているのが公人で、影響力を持っているのが準公人なんです。

芸能人は社会的に影響力のある準公人の立場として、公に謝罪している。これが前提です。だからワイドショーなんかで「法律を犯していないのに謝る必要なんかない」っていう論調のコメンテーターがいたけれど、それは的はずれです。


つまり不倫や失言、脱退など、彼らが違法性が無いにもかかわらず公に謝罪しなければならないのは、彼らが良くも悪くも大きな社会に影響を与えてしまう準公人という立場だから、ということのようです。

テレビというメディアの中で、タレントが担っているモノとはなにか?

「なんで公に謝らなければならないのか?」という理由については、彼らが「準公人という立場だからだ」ということである程度納得できるような気がしないでもありません。では、不祥事を起こしたタレントや有名人というのはいったい「何について」謝っているのでしょうか?

それについて中田さんは、テレビのビジネスモデルと演者であるテレビタレントの役割を分析することで、こう説明します。

もはやテレビというのはただの娯楽ではなく、社会的に成熟したメディアに数十年をかけてなったんですね。最近自粛や規制が大きくなったと言われていますが、これはがんじがらめになっているというよりも、(子供が大人になるように)社会的に成熟したからでしょう。テレビはそういった社会的信用を背負った上で、一流企業の商品をPRするメディアです。そして、そのメディア(CM)の演者であるタレントというのは、「なに」を担っているのか? それは「模範的な市民であるこの人(タレント)も、この商品を認めている」という「信用」なんです。つまり模範的な市民であるテレビタレントの信用度と、一流企業の信用度を掛けあわせることによって、皆さんに「商品の信用」を伝えている。その信用を著しく貶めるのが、タレントのスキャンダルなんですよ。


確かにテレビをはじめとする大きなメディアの上で、企業と国民の橋渡し役(の顔)であるタレントが問題を起こせば、そのタレントが関わっている企業や商品の信用も落ちてしまう恐れがありますよね。社運を懸けたプロジェクトがタレント個人のスキャンダルによって頓挫してしまっては、スポンサーからすればたまったものではないでしょう。よって契約中にもかかわらず問題を起こしてしまったのであれば、けじめとしてCMは降板するべきなのかもしれません。ただ、人によっては出演していたレギュラー番組まで降りたりすることがあります。そこまでする必要はあるのでしょうか?

実は番組というコンテンツ自体が、広い意味でのCMなんですよ。番組という「面白いモノ」を見せることによって、そのあいだに挟んであるCMを見せるというのがテレビのビジネスモデルです。ですから、テレビというのは実は全てがCMなんです。そしてテレビタレントというのは、全ての仕事がCMなんですよ。だから、CMだけ降ろして番組を降ろさないということはないんです。

つまり、そういう企業と国と国民との間にあって、信用のある実績を積んできた人が、その仕事の最中にもかかわらずそれを犯したということが問題なのであり、彼らはその罪に対して謝罪しなければならないのだということです。


モヤモヤしていた違和感が、なんだかクリアになった気がします。

まず大手メディアに出演しているタレントというのは公に対して影響力を持つ準公人であり、彼らの「商品価値」はその社会的な影響力によって決まるのだということ。そしてスポンサーである企業は、そのタレント(や番組)の持っている「社会的影響力」に対してお金を払っているのであって、「タレント及びテレビ番組(コンテンツ)」に投資しているわけではないと。

つまり自らの社会的影響力(という商品)によって、契約している企業の商品を宣伝する(つまり、企業と国民を繋げる)ことこそが「(それが直接契約であれ、番組からオファーを受けたものであれ)タレントの仕事」なのだということです。

よく「炎上」だなんて言葉が使われますが、これは自らのプライベートなことが原因で、その人の社会的影響力が本来意図していない方向へ暴走してしまうことを意味する言葉です。「企業(及び大きな組織)と契約関係(そして、私達国民とは信頼関係)にあるタレント(又は有名人)」にとって、自分のプライベートなことが原因で炎上するということは、いわば取引先に致命的な欠陥のある商品(社会的影響力)を納品してしまったのと同じことなわけですよね。つまり彼らは「その社会的影響力を自らの過失によって制御できなくなったことで、関係各所に多大な迷惑を掛けてしまったこと」について、関係者や私達国民に向けて謝罪しなければならない責任があるのだということです。

ちなみに、そのタレントの「社会的影響力及び信用度」が高ければ高いほど、皮肉にも罪は重くなってしまいます。いかにも不倫しそうなタレントよりも、不倫なんて絶対にしなそうなタレントが不倫してしまうほうが持っている「社会的影響力」が暴走しやすいので、より罪が重くなってしまう。だから同じタレントという職業であっても、人によって受けるペナルティーは違うんです。

補足

ただこの流れだと、スポンサーなどの直接の被害者(契約関係)に対して謝罪しなければならないというのは理屈としてよく分かるのですが、いくら準公人とはいえ直接被害にあったわけではない国民に対しても謝罪しなければならない理由が若干曖昧な気がするんですよね。よって勝手ですが、少しだけ補足しておきたいと思います。

例えば飲食店のクレームに対応する人のことを「責任者」だなんていいますよね。彼ら責任者という立場の人間は、その飲食店という『小さな社会』の中で起きた不手際によって被害を被ったお客に対し、お店(小さな社会)を代表して謝罪しなければなりません。それ自体はお客と責任者(お店)間の問題なので、当人同士で解決すればいいだけの問題です。ただ、たまたまその店(小さな社会)に居合わせた普通のお客の立場からすれば、直接の被害にあったわけじゃなくてもなんだか複雑な気分になりますよね。ちゃんとした責任者であれば、そういったお客に対しても「お騒がせして申し訳ございませんでした」と一言告げてくれると思うんです。

雑な例えかもしれませんが、準公人という『大きな社会』に影響を及ぼしてしまうタレントというのは、自らの不祥事によって直接被害を被った関係者に謝罪するのはもちろんのこと、その不祥事を起こしてしまった「場」である『大きな社会』の構成員である私たち国民(たまたま居合わせた普通のお客)に対しても、その『大きな社会の責任者』として一言謝罪(説明)するのが筋なのかなと思うんですよ。

もちろんこれは「自らの非を認めているのであれば」という注釈が付いた上での「筋」ですし、「たまたま居合わせた普通のお客」に謝罪するかどうかはあくまで任意ですけどね。ただ最後の方にも書いていますが、『大きな社会』にまで拡散されてしまった問題である以上、その構成員である国民に対しても一応説明と謝罪をしておいたほうが、総合的なリスクは低くなると個人的には思っています。その理由についてはまた後ほど。

正しい謝罪会見をする上で、重要な4つのチェックポイント

準公人であるタレントが、スキャンダルによってその社会的影響力をネガティブな方向へ作用させてしまったことについて、関係各所に謝罪しなければならないこと。そしてたまたま居合わせてしまった私たち国民にも、筋として一言謝罪した方がいいということは(勝手な解釈もだいぶ入っていますが)分かりました。中田さんによると、それを踏まえた上で「正しい謝罪会見」をするためには、重要なチェックポイントが4つあるんだそうです。

チェックポイント①「速さ」

ニュースがでてから批判が盛り上がって、盛り上がったあとに謝罪するというのは遅い謝罪会見です。

批判が盛り上がる前に謝罪会見ができないというのは、行った行動に対しての罪と罰を認識していないということになってしまうんですね。あとから謝罪しても、「批判されたから謝罪した」ということに結果的になってしまう。批判が盛り上がる前に謝罪する事ができれば、私はその罪を分かっているという事を伝えることができる。

「私は罪を犯したことが分かっているので謝ります」と「怒られたから謝ります」とでは、スタンスが全く違います。これは犯罪における自首と逮捕の違いです。

チェックポイント②「事実関係を認めるかどうか」

謝罪会見とは、(本人がどう思っていようが)「罪を犯したということを認める会見」なんです。なので謝罪会見という場において質問を受け付けないということはありえない。全ての質問を受けた上で、事実関係を全て洗いざらいしゃべる、これが必要なんですよ。すべての証拠を出し、偽証をしないということ。これを隠すと、「後ろめたいところがあるにちがいない」と世間に思われてしまうので、全てを認めた上で、謝罪する。(謝罪会見をするからには)ぼかしてはダメ。

チェックポイント③「罰を自分で科すこと」

よく政治家とかで、悪いことをして謝罪しても辞職をしない人がいる。辞職しないで、現在の職務をより頑張り、政治活動の中で償っていきますという人がいる。これが絶対におかしい。

サッカーで考えてみてください。ファウルをして、レッドカードがでたとしましょう。ファウルした選手が相手や審判に対して、「ごめんなさい、確かに私はいま足を蹴りました。よって、これからのプレーで返したいと思いますので、どうぞご勘弁ください」これはありえないですよね。つまり、いったん出ろよって話なんです。


これまでの信用と、実績でそのポジションに立っているわけですから、それを裏切ったのであれば、一度フィールドから出なければならないんです。テレビタレントであれば、「信用を裏切ってしまったということで、現在いただいているレギュラー番組とCMについては、降板の方向で調整を進めます」と言わなければならない。これをいえるかどうか。

チェックポイント④「復帰の意思を伝えること」

これが一番大事だと思うんですけど、それは「最後にちゃんと復帰の意思を伝えること」だと思うんです。すべての裁判が死刑に向かっているわけではなく、社会復帰に向かっている。罪を犯した人も、罰を受けて更生し、その後社会復帰をさせるというところまでが法律の概念だと思っているので、どんな罪を犯した人間にでもきっと復帰の目処はあるだろうというギリギリところまで付き合うのが日本の法律。つまり、どんな罪にもそれに見合った量刑というものがある。それを自分で課した上で、その上でもう一度戻ってきたいという意思を伝えたほうがいい。

模範的謝罪会見(中田 Ver.)

以上のことを踏まえた上で、中田さんがスキャンダルに見舞われた際には完璧な謝罪会見をしてくれるんだそうです(笑)

もしスキャンダルを起こしてしまったら、私中田は翌日に会見を行います。その上で「本日はお集まり頂き、まことにありがとうございます。本日は全ての質問にお答えさせていただきたいと思いますが、まずはわたし中田の見解を申し上げます。事実関係についてですが・・・ということになっています。ご質問のある方どうぞ・・・質問ありがとうございます」という具合いに洗いざらい話します。そして「今後の処遇についてなのですが、けじめをつける意味でも今現在頂いている仕事については、降板の方向で調整を進めております」として罪を自分で課します。さらに「ただ、一定の反省の期間を経た上で、もう一度カムバックしてきたいという思いがありますので、そのときに皆さんがご納得いただける私になれているのであれば、もう一度チャンスを頂ければと思います。その際には、社会により一層貢献できる人間になって、戻ってまいりたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。本日はお集まりいただき本当にありがとうございました」・・・この流れなんですよ。


何もしていないのにいちいちこんなことを考えている辺り、本当に中田さんらしいですよね。このチェックポイントを引き受けた上で、簡単に個人的な感想を書いて締めたいと思います。

最後に(感想)

人間は「よくわからない状況やモノ」に対して、不安や恐怖を感じる(だからこそ、その不安や恐怖を取り除くために好奇心が起動する)生き物です。例えば職場に新人が入ってきたりすると、私達は無意識にその新人を「異物」として認識してしまうんですよ。だからこそ新人は「私はあなた達(職場の構成員)に対して敵意を持っておらず、あなた達と共に頑張っていけるように努力したいと思っているので、ご協力頂けないでしょうか?」という態度を(面倒ですが)いち早く表明しなければなりません。

にもかかわらず、挨拶をおざなりにしていたり自分のやり方(という名の非合理)を押し通してしまったりすると、本人にそのつもりがなくても「あいつは生意気で態度が悪い」とか「私達のことを心のなかでバカにしているんだ」というような被害妄想のようなうわさ話が勝手に広がっていってしまうんです。

というのも人は「よくわからない状況やモノ」に不安を感じるようにできていますから、その状況やモノの正体を自分の中にある材料(経験則)で勝手に作り上げ、安心しようとしてしまうんですよ。そしてその安心感をより強固なものにするために、(村の)仲間と共有しようとするんです。先にも書いたように、村(職場・ナワバリ)によそ者(新人・よく知らない奴)が入り込んでくれば誰だって警戒しますよね。そして警戒するからこそ彼らの一挙手一投足に注目し、そのよそ者の行動が不可解であればあるほど悪いうわさが広まっていくというわけです(これはナワバリを守るために備わった、生物の本質的な機能でしょうね)*1

今書いたような事を踏まえると、中田さんの言っていることはかなり芯を突いていると思うんです。

「大きな社会(大きな村)」に対して強い影響力を持つ準公人が何かしらの問題ある(又は疑われる)行動をしてしまうと、その問題行動という名の「よくわからない状況」が少なくない国民(同じ大きな社会に所属する構成員)の「不安と関心」を刺激してしまうんです。そして刺激されてしまった構成員ひとりひとりが、それぞれの方法でその不安を解消しようと動き出してしまうので、結果「根拠の無い因果論や陰謀論のようなモノ」が巷に溢れてしまい、収集がつかなくなってしまうんだと。先程も書いたように、それが「炎上」という現象の構造でした。

だから問題を起こしてしまったのであれば、「大きな社会」に対してすぐさま自分の認識を何かしらの形で表明し、謝罪なり釈明をした方がいいというのは理屈としても正しい。もちろん人によってキャリア(信用を積み上げてきた期間)や状況(問題の種類・職業・キャラクター)が違うので一概にはいえませんが、早急に対応し、謝罪なり釈明を誠実にする事によって初めて、正当な裁判を始めることができるんです。場に出てこなければ欠席裁判になってしまうので、(もちろんどう転がっていくかは分からないとはいえ)必要以上の社会的制裁を受けるリスクが上がってしまうのは間違いありません。

そして実際に自分に非があったのであれば、罪を認めて洗いざらい話し、罪を精算する為の禊を自分から提案すべきなのだと。まあ自分で禊を提案できるかどうかは置いておいたとしても、事務所や組織から公式に発表された「明確な禊(辞職・謹慎・降板・降格・左遷)」を受けなければ、「あいつは責任を取らなかった」というレッテルが貼られ、少なくともそれが現役中に剥がされることはないでしょう。

中田さんが最も大事だと言っている「復帰の意思を伝えること」というのも、禊を受け入れ、負け顔を晒すことによって初めて可能になるんだと思うんです。

今回中田さんが語っているのはあくまで「テレビタレントが行うべき正しい謝罪会見」というフレームですが、これは人の社会で生きていくために抑えておくべき「普遍的な作法のようなモノ」だと思うので、誰が見てもそれなりに参考になるのではないでしょうか。

少し長くなってしまいましたが、「大きな社会の責任者」や「人が不安を解消するために行動をする」などなど、以前からふわっと思っていたことを改めて考える良いきっかけになりました。最初の方の「PERFECT HUMAN 現象」に対する自己分析も(というかそちらがメインです)かなり面白いので、ぜひ始めからどうぞ。

<【公式】2016年2月TALKLIVE ①/⑥ 【オリラジ】>



*1:例えば部下のミスに対して何かしらの指摘をした時に、自らの失敗を誠実に受け止め、自分なりにその指摘の意味や自らの反省点を分析し、改善策を提案してくる部下って上司からすれば(それが仮に的を得ていなかったとしても)可愛く見えるんじゃないでしょうか。反対に返事も曖昧だし、指摘されたにもかかわらずやり方を変えずに同じ間違いを繰り返す人には、「こいつ何も分かってないし、分かるつもりもないんだな」って(勝手ながら)思うはずです。
自らの考えや態度を(それが仮に反論であったとしても)上司に伝えないかぎり、いつまでも上司にとっては「よく分からないなんだかいけ好かない奴」であり、そのレッテルが剥がれることはないでしょう。
同様に部下の立場で考えても、自らのミスを認めた上で、きちんと部下に対して説明と謝罪ができる上司の方が、なかったコトにしてスルーする人よりも株が上がると思うんです。自分の過ちを認め、その禊として部下に誠実に説明と謝罪をするからこそ、本当の意味での上司としての威厳(部下からの尊敬)を保つことができるのではないでしょうか。