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幸せとはなにか

キュレーション 作文

xevra.hatenablog.com

これ、読みました。

そんな研究があるんだーと普通に感心しながら読んだのですが、思うこともあったので久しぶりに書いてみます。

我々の目的と、私の価値

日常生活ではあまり意識されていませんが、実際に私たちって所属する社会に有用なモノを流すことで対価を得る、という仕組みの中で生きているんですよね。この「自分で自由に収集してきた情報を、自分が所属する社会に共有する」というのは人類の生存戦略に基づいた習性であり、この社会に情報を共有しようとする行為の総称をキュレーションといいます。

もちろん有用な情報を安定供給するというのは並大抵のことではないので、多くの人は「大きな社会に有用な情報をキュレーションしようとしている人(企業家)」の下につき、労働力やアイデアを提供する(社内という小さな社会にキュレーションする)ことで賃金という対価を得ている。

つまりどのような社会に所属していようとも、何かしらの対価を得るためには(残念ながら)他人の役に立たなければなりません。恋人や友人からの愛情や承認という対価を受け取りたいのであれば、彼らを愛し、承認しなければならない。同じようにお金持ちになりたいのであれば、自分の作りたいモノを作るのではなく、少し先の未来において多くの人が便利で使いやすいと感じるであろうモノを作らねばならない。つまり、相互に作用することができなければ、正規の対価は発生しません。

あえて言い切ってしまえば、人の価値というのは集めた対価の量で決まるんですよね。そしてその量というのは、自分が接続可能な社会(例えば恋人・家族・社内・業界・国内・世界)に、どれだけ有用なモノをキュレーションできたかで決まるというわけです。

小さな社会へ有用なモノをキュレーションすれば、人は自分の生きる意味や価値といった暖いモノを対価として受け取ることができる。そしてこのキュレーション先の社会が大きければ大きいほど、その「対価」は金銭や名誉といったいわば冷たいモノに置き換わっていく。

この自分が接続可能な社会に有用なモノを提供することによって集まった対価(信頼や金)の総量が、その個体の価値となるわけです。ちなみに小さな社会に積み上げた「信頼や愛情によって構成される信用」はよほどのことがなければ崩れませんが、大きな社会に積み上げた「金や名誉によって構成された信用」は、金がなくなったり名誉にヒビが入ればけっこう簡単に崩れます。


人間にとって一番重要なのは金でも名声でもなく 家族や友人、コミュニティーなどと関係を持って豊かな人間関係を持つ事 である事が確認された。

つまり、我々が目指すべき事は、いい大学に入る事でも大企業に就職する事でもTVに出る事でも表彰される事でもなく、家族や友人と楽しく豊かな関係を築く事だけなのだ。


上の記事の主題ともいえるこの部分。 ここまで書いてきたことを踏まえても普通に納得できるお話なのですが、じゃっかん不正確かなとも思いました。

まず、大きな社会に有用なモノ(例えば多くの人にとって便利な道具やサービス)をキュレーションすることに成功している個体であっても、小さな社会にもちゃんと有用なモノ(恥ずかしげもなくあえて書けば「愛」)をキュレーションすることを怠らなければ、人は幸せになれるんだということ。そしてもう一点は、なんだかんだいっても「我々の目的は大きな社会へ有用なモノをキュレーションすること」なのだということ。

以下、続けます。

私達にとっての不幸と私の幸せ

人の個体にとって一番最悪なのは、大きな社会に有用なモノをキュレーションしようとズルズル続けた結果、小さな会社へのキュレーションを怠り、それ(家族・恋人・友人関係)を構築するタイミングさえも逃してしまった、というパターンです。こーゆー人達は傍から見れば物語の主役足りえる面白い人達(皮肉ではない)ではありますが、後に(大きな社会へのキュレーションが)成功しようがしなかろうが、個体としては不幸なのかもしれません。

ただ、「我々(人類視点)や私達(集団視点)が目指すべき」はあくまで「大きな社会へ有用なモノをキュレーションすること」なんですよね。

人はこの地球環境という圧倒的な未知を分業することで検証し、様々な領域において成果を積み上げ、それを記録し、共有することによって公的なデータベース(歴史)を構築することに成功しています。そのデータベースを世代を越えて更新し続けることによって、じょじょにこの「よくわからない場所」である地球を「よくわかるモノ」に塗り替えていこうという戦略を持っている。

よって、「大きな社会へ有用なモノをキュレーションすること」というのは、我々の生存戦略上、絶対です。しかし、これがうまくいかない場合も多分にありえる。ゲノムや権力者の視点から見れば、「個体の幸せ」などという幻想は種や国家を潰しかねない危険思想なのですが、現代において個体がそれを求めるのは当然のことです。

まとめると、私達が大前提として目指すべきことというのは「大きな社会へ有用なモノをキュレーションすること」なのだけれど、私(個体視点)が(リスクヘッジの観点から)最低限しておくべきことというのが、「小さな社会の構築とそれに対する貢献」なのだということですね。

人の個体はキュレーション先が友人であれ恋人であれ家族であれなんであれ、「話を聞いてくれる人(情報の共有先)」さえ確保できていれば、「一個人としての生きる意味」を作れる生き物なんです。

勝ちたいゲーム(人類単位のゲーム)と勝てるゲーム(個人単位のゲーム)は違うのだから、大きな社会(我々が勝ちたいゲーム)が無理ならば、キュレーション先の社会を絞り、より小さな社会(私が勝てるゲーム)に目を向ければいい。そうするだけで、人(個体)は幸せになれるんです。

最後に

こういった個体の価値基準における個の幸せ(小さな社会の構築と貢献)を「神(ゲノム)」や「王(権力者)」は認めませんが、価値観が多様化することによって増えてきた「神や王よりも個を重んじる個体」であれば、きっと共感してくれることでしょう。

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