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1冊目 素人のように考え、玄人として実行する


難しい話や重要な発明も、その発想を聞いてみると「なんだ、それなら自分でもできそうだ」とおもうことがほとんど。

「こんな事が出来たら面白くないか?」
「こんな事が不便だ」
「ひとはどうしてこんな事が出来るのか」


どんな事も基本的な考えは単純であり、それは時に素人的でさえある。

専門家と素人

素直な発想を邪魔するのはなまじっかな知識であり、理解しているという思い込みである。人は習熟すればするほど、自分の知識の範囲内にしか目がいきにくくなるのだ。

専門家とはその専門領域内の「既に分かっていること」に詳しい人であり、その領域におけるこれまでのパターンを熟知した人ということになる。よって、その専門領域を深めていくことは得意だが、前提となる知識(先人が積み上げた知の体系)にいちいちツッコミを入れるのは苦手なのだ(自分の得意な分野では誰もがそうなる)。

素人は「その領域では当然だとされている事」を当然だとは認識していないので、専門家がスルーするような部分にもいちいちツッコミを入れてしまったりする。当然うるさいし邪魔なのだが、その領域における斬新な発見や発想というものは、そういった一見不合理な行動から生まれる。しかし、素人はその発見や発想に形を与える事ができない。

それを実行に移すには知識がいる。習熟した技がいる。考えが良くても下手に作ったものはうまく動かない。つまり、餅は餅屋なのだ。

大人と子供

対象を「理解したつもりになる(固定概念化)」のは危険である。なぜなら、この世界は常に変化しているからだ。とはいえ対象を「理解したつもりになる」ということじたいが悪いわけではなく、これも人にとっての重要な機能なのだ。

以前も書いたように、人の生存戦略は地球という場の情報(未知)を収集し、その構造、および対処方法などを記録することで既知のデータベースを作り上げ、それの更新を繰り返す、というモノなので、「理解したつもり」になれないとセーブが出来ないゲームと同じように酷く効率が悪くなってしまう。毎回対象を新鮮な感性で見直していては、人の生存戦略は機能しない。

大人と子供の差は、簡単に言えばこの「理解したつもりになったモノ(パターン処理可能な対象)」の量だろう。とはいえそれはあくまで理解した「つもりになったモノ」なので、状況が変われば対象は今までとは違った動きをしたりする(地球の設定上、対象を絶対化することは不可能)。それに大人はなかなか気がつくことができないが、子供は無自覚にそれを発見してしまったりするわけだ。

生命に新陳代謝が必要なのも、構造は同じである。 既存の個体が「今までのモノ」を守り、新規の個体が「これからのモノ」を提案するなかで、「ほど」というものが保たれる。そして、この構造は国家や企業であっても変わらない。

おわりに

真面目な人は失敗しないようにひとつひとつステップを積み上げてくる。しかし、面白いアイディアをうんだり、独創的な技術を開発する為には思考を飛躍させなければならない。そして思考を飛躍させるためには、ノイズ(素人・子供)を取り込めばよい。つまり、合理性を追求するために、不合理(非合理ではない)を取り込むのである。

重要なのは、「素人であること」なのではなく、「素人的発想」を持つということ。バカになれるスイッチを自分の中に持っておくということ。
新鮮な感性で対象に向き合うからこそ、思いもよらない発見をすることができる。そして、その「思いもよらない発見」にカタチを与えられるのは、専門家や大人の経験なのだ。

参考文献(元ネタ):金出 武雄 著『素人のように考え、玄人として実行する』